マスクRCT(ランダム化比較試験)の難しさ


そもそも何故RCTが必要になるのか


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解説/Explanation まず RCT とは Randamized Controlled Trials (ランダム化比較試験)の略である。そもそ RCT を何故行う必要があるのかということから解説し、次にマスクRCTが難しいことを解説する。

RCT より二段階低い研究手法として Case Control Studies (症例対照研究)がある。例えば肥満になった人がどのような生活をしていたかを調べ、肥満になっていない人とどのような違いがあったかを見付け原因を探ろうとするものである。過去に遡って調べるので、後向き研究と呼ばれる。

筋トレが原因かどうかを調べるには、患者に筋トレの有無や頻度を訊く必要がある。しかし訊いても過去の記憶なので間違っているかもしれないし、医者に運動嫌いであることを知られなくて筋トレの頻度を過大申告することことも考えられる。このようなバイアス、報告バイアスが避けられない。

また肥満になった筋トレ愛好家、筋トレ非愛好家、肥満になってない筋トレ愛好家、筋トレ非愛好家を、現実の比率に近くなるように集めないといけないが、それだけでも難しいのである。肥満で何らかの症状がある人は病院に来るが、なってない人は病院には来ないのだから。

症例対称研究よりもエビデンスレベルが高い研究が Cohort Studies (コホート研究) である。アンケートを実施し、筋トレ愛好家、筋トレ非愛好家との集団に分け、何十年もかけてそれぞれの集団の中での肥満の発生率を調べるというものである。未来に向かう研究なので前向き研究と呼ばれる。(後向きのコホート研究もあるが説明は省略する) しかしこれでも、筋トレ愛好家に肥満が多いという結果が出ても、実は筋トレ愛好家はジャグリング愛好家が多く、ジャグリングこそが肥満を防ぐ真の原因という可能性が残ってしまう。これを交絡因子と呼ぶ。

なお筋トレもジャグリングも筆者の趣味なので例としてこの二つを出しただけで、それ以上特別な意味は無いことにご留意下さい。


エビデンスレベルが高いRCT(ランダム化比較試験)


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解説/Explanation バイアスと交絡因子を排除する実験として RCT(ランダム化比較試験) がある。RCT では集団をランダム(無作為)に二つの群に分ける。上の例でいうと、被験者を集めて、これから筋トレしてもらう群とそうでない群とにランダムに振分ける。ランダムに振分け未来に向って調査することでバイアスが入る余地が減らせる。また筋トレ群と非筋トレ群のどちらにも、元から筋トレ愛好家も非愛好家もジャグリング愛好家も非愛好も同様の比率で含まれ交絡因子を排除することが期待できる。他の要因についても同じである。そして何十年もかけて肥満の発生率を調べることになる。

新薬の治験の例なら、薬を飲んでもらう群と、薬だと称した偽薬を飲んでもらう群とに分ける。その際、被験者には自分が飲むのが薬なのか偽薬なのか分らないようにする。更に薬を処方する医師にもどちらか分らないようにすることを二重盲検法と呼ぶ。


マスクRCTは介入群に有利な結果が出やすい筈だが得られない


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解説/Explanation 前置きが長くなったが、RCT のエビデンスレベルが高いという説明が終った。ようやくこれで新薬と違い、マスクのRCTは解決できない難しい問題があり、介入群に有利な結果が出やすいという説明ができる。

RCT では試験に参加する人達は「どのような効果を期待した試験なのか」説明を受けて参加している。これがマスクのRCTの場合、マスク群はコロナやインフルを予防することを期待した試験だと知っている。そこまでは薬と偽薬を使うRCTと同じなのだが、マスクRCTの場合は自分がマスク着用群に振分けられたのか、非着用群に振分けられたのか分ってしまう、オープンラベル試験とならざるを得ない。偽マスクは作れないのだから。

これが偽薬を使える薬の RCT とマスクRCTとの大きな違いとなる。偽薬であってもどんなに効かない薬であってもプラセボ効果はあり得る。プラセボ効果とは医療介入を受けていると自覚することでよい結果が得られることである。同様にマスクを着けるだけでもプラセボ効果はあり得るのである。

しかしマスク非着用の群になった時だけは、自身が「医療介入を受けなかった」ことが分ってしまうため、プラセボ効果が期待できないということになる。

つまりマスクのRCTはマスク群に有利な結果が出やすいRCTということになる。このこともマスク論文を解釈する上で念頭に入れるべきであろう。それでいてRCTの結果、効果はほとんど出てないのである。これはよっぽどマスクには効果は無い、はっきり言えば逆効果であることの証左では無いかと筆者は考えている。